COMPANY INFORMATION

- 会社案内 -

01.

GREETING


- 社長挨拶 -


株式会社山清片山 代表取締役社長よりご挨拶

当社は創業以来、地元静岡において、地元のお客様とのお付き合いを大切にして事業を
展開して参りました。日々変化する建築業界において、ただ商材をお客様に提供するだけで
なく、何をすればお客様に喜んで頂けるか、必要とされるかを考え、日々取り組んでおります。
現在では、建築資材の販売のみならず、取引工務店様の商売繁盛の源となる有益な
情報発信、更には継続した勉強会やセミナーの開催など、情報発信にも力を入れております。
お取引をさせていただいている工務店様のお役に立てるよう、日々、研鑽して参ります。
今迄同様、ご指導ご鞭撻を頂けましたら幸いです。

02.

COMPANY PROFILE


- 会社概要 -


会社名株式会社山清片山

所在地〒420-0804 静岡市葵区竜南3丁目16-18

フリーダイヤル0800-111-8030

TEL054-246-3111(代表)

FAX054-248-5592

創 業明治25年

法人設立昭和36年

資本金4,950万円

従業員数50名

E-Mailsoumu@yamasei-k.co.jp

事業内容建築資材・家具資材の卸売ソーラーシステム設置・販売

事業所本社 : 静岡県静岡市葵区竜南3丁目16-18

藤枝DEPO : 静岡県藤枝市小石川町4丁目2-48

関連会社株式会社コーエキ

03.

COMPANY HYSTORY


- 会社沿革 -


1889年東海道線全通、貨物輸送至便となる

1892年静岡市西寺町(現大鋸町)に片山材木店を創業
国内各地の銘材集荷問屋として業務開始

1934年外国産銘材の取扱開始

1940年静岡大火により羅災、市街復興の資材供給に全力を上げる

1942年戦時統制令により静岡県木材(株)に強制統合、販売部門を担当

1949年統制令解除

1951年6月、大鋸町に山清片山材木店として再興開店

1961年株式会社 山清片山商店として法人改組資本金470万円、
代表取締役社長に片山敏朗が就任。
同時に合板、新建材の取扱開始

1968年資本金3300万円に増資

1971年資本金4,950万円に増資
地場産業への資材供給強化を目的として、家具資材部を建材部より分離設置

1972年静岡市竜南に本社落成、本社機能統合移転、株式会社山清片山に社名変更
建材部、住宅機器の取り扱いを開始株式会社コーエキ関連会社

1987年リフォーム事業部を設置

1988年藤枝店開店

1991年創業100周年、記念事業として静岡産業館(現ツインメッセ)にて、
大規模な「リビングフェア」開催。
研修センター「竜雲館」を竣工

2004年DKIL(CAD)システムの開発・導入
納材担当部門を新設

2006年片山敏朗 会長就任
片山恵畏子 社長就任

2010年平成19年度経営革新計画承認
太陽光発電システムの監理・施工開始

2012年リフォーム事業を開始

2012年ふじのくにしずおか優良住宅の会発足
地域型住宅ブランド化事業への申請

04.

PHILOSOPHY


- 山清片山の哲学 -


株式会社山清片山の創業者である片山敏朗の哲学は、今も山清片山の社員の行動の根本を成している。

創業者 片山敏朗のご紹介大正15年生まれ。
おじいさんが銘木や造作を扱う製品問屋として商売を盛上げ、当時、東海道で片山材木店といえば知らない人はいないほどの商家に私は生まれました。そういう意味で、ひとつ間違えるとただのボンボンになっていたかもしれません。厳しい戦時教育が自分の体力や知力の限界を教えてくれたと言えます。戦争のおかげで鍛えてもらい、今日の自分があると思っています。

PHILOSOPHY OF YAMASEIKATAYAMA

- 山清片山の哲学 -

01.行き詰まった時の対処法

行き詰まった時には新しい考えが生まれてくるもの。 しかしただボーッとしていては何も生まれない。これまでの自分の経験を信じて、 まず問題から逃げずに全力を上げて対処することが大事。処置と行動は自分でやれ。 分からないことは経験豊かな先輩に聞け。そして、とにかく立ち止まらない。私の船乗りの経験で言うと、 常に地球は周っているし、潮は流れているし、風が吹いている。トラブルがあったからといって船を止めたら、 転覆して命取りになってしまう。そして、船乗りである自分も止まってしまったら命取りになってしまう。どんな時も、動きながら、進みながら考えることが大切だ。

02.計画は細かく、行動は大胆に、人間はおおらかに

お客様のニーズを拾うためには、相手を調べ、 何を提案するかを事細かに計画を立てること。後はその計画を裏付けとして自信を持って堂々と押していけ。 行動がこせこせしていると薄っぺらな人間に見える。どんな大社長だろうが、いちスタッフだろうが、 人を差別せず人間として付き合う気持ちでいれば、何も構えたり緊張する必要はない。礼節さえわきまえていれば、 おおらかな方が相手もリラックスしてくれるはず。例えば野球の打者。練習は常に念入りに、考えに考えながらバットを振る。 しかし、いざバッターボックスに立った時には無心で振っていく。そこに結果が出てくるのだ。

03.商品に心を入れよ

我々も他社さんも、売るもの自体はそんなに差はない。 だから商品にどれだけココロを込められるかが、大きな差別化になってくる。 どんなモノにもそれを作った人の苦労が込められている。ベニヤ板などは、 あんなに大きくても260〜270円と安いが、丸太から削って、蒸して、接着して…と、とても手間のかかる工程を踏んでいる。 それを作った人の気持ちを考えると、どんなモノでも粗末にできない。お客様は神様だ。しかし、商品も神様だ。

04.人生は「逆算論」と心得よ

自分はどんな人生を送りたいかを考えれば、 その夢を叶えるためにはいつまでに何をしたらいいか、という逆算が自然と成り立ってくる。 最初の子供が大学を卒業する時に自分は何歳なのか。家のローンは何歳までに片付けるのか。 60歳までに全てを終わらせておけば、気楽に老後が迎えられる。人生も仕事も同じだ。目標を持たずにただ積み上げるだけだと、 自分がどこに向かっているか分からない。どんなに小さくても、目標を持って達成すればうれしい。 それを積み重ねていくと人生は楽しい。

05.経験にムダなし

どんな経験もムダにはならない。ただし、大切なのはその経験をどう活かすかだ。 大変な経験をしたからといって、すばらしい人間になれるとは限らない。その経験を今の自分にどう活かすかが問題なのだ。 私は商売をするのに、高等商船学校時代に習った戦い方を参考にしてきた。自分にとって、 戦時中に習ったことなど、これまでの経験が全て参考になり、大きな成功へとつながっている。

06.守るという攻撃、攻撃という守り

守るといっても、ただじっと固まって守りに徹していてはいけない。 守りの体制を取りながらも、相手の弱い所を見つけてどう攻撃するかなどを考えること。 攻撃も、ただ突き進むのではイノシシと一緒。別の商品を提案したり、セミナーを開いてみたりと、手を変え品を変え工夫することで、 現状を守りながら攻めていくことが大切。ひとつの行動が、守りにもなり攻撃にもなると言える。

07.ノリのいい人間になれ

「ノリのいい」とは、張り切ってやる、ひとつのことをその気になってやるということ。 少々頭が悪くても、ノッてできる人間の方がいい。ノルとおもしろくなる、もっとやりたくなる、すると前進する。周りも明るくする。 宴会に行ったら、ブスッとしているより、ノッてみんなとワイワイやる方が楽しい。音楽だってすまして聴いてるよりリズムにノッた方が楽しい。 仕事も一緒。仕事にノル人間であってほしい。

08.偉くなりたかったら上に聞け

悩み事を仲間うちで相談し合っても、同じ程度の知恵しか出ない場合が多い。 本当に解決したければ、自分より経験豊かな人間の懐へ「教えてください」と飛び込んで行け。 私も若い頃は大工さんや仕入れ先の専門家たちに何でも聞いた。 「お前、材木屋のくせにこんなことも知らねぇのか」なんて言われても「知らないから聞いてるんです」と正直に言えばいいだけの話。 誰もバカにしたりなんかしない。かえって先輩たちは聞かれたら喜んで教えてくれる。 それがプロとして、先輩としての誇りにもなっていくし、良い人間関係にもつながっていく。 私だって後輩に聞かれて嫌だと思ったことは一度もない。先輩で教えてくれない人がいたら、訳あって教えてくれないか、よっぽどのヘソ曲がりか、 さもなくば教えられない人だ。人に聞いていくことで、そういう人を見抜く目も養われると言える。

09.教えられる人間になれ

教えるのは難しい。自分が分かっていなければ人には教えられないし、分かっていてもうまく説明できなければ伝わらない。 教えるために勉強し直すと、それがまた自分のためになる。後輩は、そのまた後輩のために勉強する。 それがまた自分を成長させ、そうやって人はつながっていくもの。 それができないのならば、お客さんに提案していく営業にはなり得ないはずだ。

10.人のやらないことをやれ

業界のことを何も知らずに飛び込んだ私は、業界の常識に囚われることなく、人のやらないことをやって進んできた。 他の業者さんが「あんなの建材じゃねぇ」といって取り合わなかった合板を、「うちはもともと建材屋じゃないから何の抵抗もない」と、 いち早く取り扱って成功したのもそのおかげだ。 人を殺してはいけない、人をだましてはいけない、約束を破ってはいけない…など人としてやってはいけないことさえ心得ていれば、 妙な常識や慣習に囚われずに、やりたいことをやった方が仕事は楽しい。

11.相手がうれしいと自分もうれしい、という時分たれ

困っている人を見るとつい手を出してしまうのは、自分が商売を再興させる時に、おちぶれた家には誰も人が寄り付かないという苦い思いを経験しているから。 「独立したいが誰も保証人になってくれない。資金もない」というような時に支援させてもらい、立派に成功した人が何人もいる。 自分もそうやって助けてもらってきた。もちろん誰にでも支援するという訳ではなく、 その人の人間性を見てのことだ。そうして支援したことで強い信頼関係ができ、その後の商売でもいい付き合いを続けさせてもらっている。 人が困っている時こそ親身になれて、相手の喜びを自分の喜びとできる人間でありたい。

12.人は打たれて強くなるもの

打たれるといっても殴られるということではない。 さまざまな試練を乗り越えて強くなるという意味だ。 戦中の教育は本当に厳しかったが、こんなもんだろうと乗り越えてくることで、私は自分の自信につなげてきた。 商売を継ぐ時も先代は一切何も教えてくれなかったから、大工さんや業者さんなどのベテランに聞いて、自分で一から築き上げてきた。 他人さんに教えてもらうのだから、そう何度も同じことは聞けないため、一度聞いたら忘れる訳にはいかない。 先代は自分で経験することの大切さを教えてくれたのだと思う。

13.会う人はみな師匠

ちょっと厳しくされたからって言われたことを気にしたり、人のことをああだこうだと言うのは、 小さい人間のすることだ。そんな暇があったら、自分でできることをさっさとした方がいい。 その方が一歩でも二歩でも先に進める。立ち止まらずに、とにかく前進しながら考えること。 厳しいことを言ってくれるのは、自分を鍛え成長させてくれる人。私は何に関しても、いろいろな人のいろいろな良いところを見習ってきた。 言い換えれば、会う人がみんな師匠だ。嫌だと思う部分があったら、自分はそれをマネしなければいい。 そう思えば周りにいる人は、誰もがいろいろなことを教えてくれる師匠ということになる。

14.撤退の美学

商売で難しいのは撤退する時。 これ以上商売を続けても利益が見込めないという場合、できるだけリスクを少なく、恨まれずに、いかに上手に撤退するかが大事だ。 かつて富士宮に出店をしたが、2年ぐらいで引き上げたことがある。撤退する時に土地を売ったら、かえって利益が出てしまった。 攻撃する時のためにも、守りを固めるためにも、よけいな負担は取り除いて常に身は軽くしておくこと。 そしていざ撤退が決まったら、もったいないなどぐずぐずせず鮮やかに引く。戦争でぐずぐずしていたら命を取られてしまう。 状況は違っていても「逃げる」という行動という点では一緒だ。私の逃げ足は、とても速いしきれいである。

15.失敗は自分の価値を上げるチャンス

失敗を恐れるな。失敗してしまったら、その後をどう始末するかに全力をかけろ。 いかに素早く対応するかで、失敗が新たな信頼につながることがある。 クレームがあってすぐ対応すれば「ああ、さすが山清だ。よくやってくれた」となるが、3日後だと「やって当たり前」、 これが1週間後だと「遅い、何だ今ごろ」と言われてしまう。 失敗は自分の価値を上げられるチャンスなのだから、こんなにありがたいことはない。

16.何があっても最優先すべき3項目

山清で「仕事中だろうが、何をおいても優先しろ」と言っているのは次の3つ。
【1】クレーム処理…アクシデントは生もの。どれだけ素早く対応するかで、価値が全然変わってくる。
【2】体調管理…無理をしたばかりに長期に休むことになる。具合が悪ければちゃんと病院へ行け。
【3】クルマの故障の対処…人の命に関わることだから、仕事はあとにして、まず修理する事。

17.仕事も人生も確信の連続なり

時代が変われば人の心も変わる、心が変われば生活も変わる、生活が変われば自分の仕事も変わる、 仕事が変われば会社も組織も戦略も変わって当たり前。立ち止まっては腐ってしまう。 とは言っても、自分の核になるものを持っていないとただ流されてしまう。 核となる信念は変えず、周りの状況を変えていくことが大切だ。船に乗っていたら、何があろうと「生命を守る」が核となる。 しかし船の上は逃げ場がないが、人生は安きに流れることができてしまう。 縛りのない、ある意味何でも自由奔放が許されてしまう今の時代だからこそ、自分の核を持っていきたい。

18.人の上に立つことで、人の役にたて

45歳まで入会するのを抵抗していたライオンズクラブ。 しかし、「これからお前、静岡で商売して静岡で死んでいくのに、自分の葬式の時に何かこれをやったと言えるものがひとつぐらいないと恥だぞ」と人に言われ引っ張り込まれた。 やるなら誠心誠意やる。そのうち47歳という異例の若さで会長になり、51歳の時には静岡市の4つのクラブをまとめるゾーンチェアマンに。 そして60歳を前にして富士川〜大井川地区にあった12ほどのクラブのまとめ役となり、1991年には静岡県全体の5000人をまとめるガバナーになってしまった。 何かをするといつも“長”がついてしまう。それは、自分が嫌だと思うことは他人に押し付けられず、自分が引き受けてしまうという性格のせいかもしれない。 そういう星のもとにあるというのは、苦労も多いが、少しでも人の役に立てる幸せなことなのだと思う。

19.河童の陸(おか)上がり

船乗りや漁師など船上の人間たちの言葉に「河童の陸(おか)上がり」という言葉がある。 陸上のことを何も知らない人間が船に乗るのをやめて陸に上がることを指す、少しバカにした言い方だが、自分はまさにそうだった。 しかし何も知らずに新しい世界に飛び込むというのは、かえって慣習に囚われず柔軟な発想でものごとを捉えることができる。 私の場合も、業界のしきたりや人間関係に煩わされることなく、縛られず決めつけず、自分がいいと思う方向を見極めて進むことができた。 信念を持つことで、あまり良い意味ではない「河童の陸(おか)上がり」という言葉も、自分的に良い言葉に変えたと思っている。 何事も、常に新しいことにチャンレンジしていこうという気持ちが、自分の未来を明るくしていくものだと思う。